作詞 松井達人
作曲・編曲 野々田万照
歌 松井達人
1
遠い国から やって来た
仕事を求めて やって来た
ラジオから聴こえる 春一番
テレビでは欽ちゃんと二郎さん
貧しさが 染みついた
田舎暮らしを 抜け出して
たどり着いた この街は
東京下町 古い街
ウォウウォウオ―
夢とか希望は ないけれど
ひとまずここで 暮らそうか
わずかな貯え 借りた部屋
一家の主に なれるかな
そんなことふと 思いながら
菖蒲の 街へと行く
2
寒い国から やって来た
温もり求めて やって来た
テレビラジオが 買えなくて
もっぱら工場で 観て聴いて
貧しさが 染みついた
田舎暮らしを 抜け出して
たどり着いた この街は
世話好き多い 古い街
ウォウウォウオ―
苦しみぬいた 年月を
忘れさせて くれるよな
優しい人たち 囲まれて
いつしかこの街の 人になる
そんなことふと 思いながら
菖蒲の 街に暮らす
3
踊りの国から やって来た
やすらぎ求めて やって来た
もらいものの テレビでも
くつろげることが 嬉しくて
貧しさの 中にいて
我慢することが 身についた
どんなことでも 耐えられる
そんな力も 身についた
ウォウウォウオ―
いろんな人に 支えられ
すっかりこの街の 人になり
人並みの暮らし できること
こんな幸せ 夢のよう
そんなことふと 思いながら
菖蒲の 街で遊ぶ
故郷は今 近くにありて
菖蒲の 街にありて
解説
上京して飛び込み就職した会社はわけあり社員が多く、昭和51年2月末日をもって退社しました。
それでも半年間で貯めたお金が30万円あったことから、そのお金でアパートを借り最低限の生活用品を購入、状況報告のため一旦田舎に帰りました。報告が終わると再度上京、就職活動を始めました。
東京は田舎と違い中卒でも採用する会社が多々ありました。私にとっては渡りに船、とにかく必死で探しました。
そして見つけたのが葛飾区堀切にあるスクリーン印刷の工場だったのです。
とにかく職を手に付けること、将来は独立することを目標に働き始めました。
社長の計らいで堀切のアパートに引っ越し、家賃6500円、四畳半一間、風呂無し共同トイレ、北向きの陽の当たらない部屋でしたが、東京初の我が家ができたことに感動したのを覚えています。
当時の堀切は隣り近所のお付き合いがあり、その一方で適度の距離感もある、とても馴染みやすい街でした。
商店街は盛況で夕方ともなる商店街は交通規制が入るほどの賑わいぶり、世話好きの店主や女将さんがいて、私のような田舎者でも分け隔てなく接してくれました。
貧困生活が当たり前だった私にとって3度のご飯が食べられること、周囲の人が普通に接してくれること、そんな些細なことがとても嬉しく、親しい人がどんどん増えて行きました。
堀切には菖蒲園があり、菖蒲の花が咲き始めると多くの花見客が訪れます。1年を通して1番街が活気づくのがこの季節なのです。菖蒲まつりは今でも続いていて、この街の初夏の風物詩となっています。
この街に来て50年、今ではすっかり地元民、気がつけば故郷と呼ぶにふさわしい街になっていたのです。
「堀切は良い街だ」私の口癖でした。
