私を生んだ町

作詞 松井達人
作曲・編曲 野々田万照
歌 松井達人

1
八幡まつりの 笛の音が
町中に 響いて
艶やかな色の 金襴唐子
いつかは自分も ささら跳び
神楽には 入れない
貧しさが さえぎる

すがるように 掴んだ獅子かやに
母の力は 及ばない
あの時の思い 忘れない
私を 生んだ町

2
八幡まつりの 太鼓堂
町中に 響いて
天狗が怖くて 逃げ回る
獅子が怖くて 泣き叫ぶ
父と母 笑う声
束の間の 幸せ

すがるように 掴んだバチの腕
父の力も 及ばない
あの時の思い 忘れない
私を 生んだ町

すがるような 思いは届かない
せめて優しさ ひとかけら
貧しい者にも 欲しかった
母を 生んだ町
父を 生んだ町


解説

父は立町、母が桜町で生まれ、その二人の間に生まれた私は生粋の郡上八幡っ子です。
時折、郡上八幡の景色を何処かしらで見た東京の人から、郡上八幡て良い所ですねと声を掛けられることがあります。
そうですね、良い所ですよと言いながら、実はそうでもないんだよと心の中で呟いてしまう自分がいました。
昭和33年から43年までの10年間暮らしたこの町は、私にとって辛く悲しい思い出の詰まった場所なのです。
一言で言って貧しかった。食べるものがなく、いつもお腹を空かせていました。
米屋が配達を拒み、今日食べる米が無い私たちは母の実家まで食べに行く、何も知らない弟と妹はお出かけできると嬉しそうにしていたのを覚えています。
住まいは今にも壊れそうな古いアパートで、鍵もない、トイレもない、風呂もない、水道もない、流し台もない、
とても人が住めるような環境ではない狭い部屋で、家族5人、雑魚寝状態で暮らしていました。
母は毎日一階にある共同井戸の横にある炊き出し場で煮炊きをする。
トイレは共同で、今にも抜け落ちそうな板の上で鼻をつまみながら用を足す、これが日常でした。
台風でも来ようものなら部屋のあちこちで雨漏り大会、バケツと洗面器で対応していました。
とにかく古いアパートで安い家賃だったと思うのですが、それさえまともに支払えていなかったのです。
そんな過酷な生活環境にありながらも春まつりの神楽が大好きで、金襴を身にまとう唐子は憧れの的でした。
両親は私を何とか神楽に入れようと関係者にお願いをしたようですが、当時は子供がたくさんいて、ましてや貧しい家の子など、とても入れるような環境ではなかったのです。
この歌は貧しさゆえに疎外されていた頃のことを、春祭りという舞台に置き換え詩に書いてみました。